宣告
「Nekoさん、病理検査の結果なんですが、残念ながら悪性腫瘍で、いわゆるがんでした」
2023年1月10日に主治医の先生からそう伝えられた。
ドラマなどで出てきそうな場面やワード。
まさか実際に自分が受けることになるとは。
いや、ある程度は予感もしていたのかもしれない。
この言葉だけだと、これは死刑宣告なのか?それともそれほど大したことはないのか?
まだわからないので、この後の言葉をしっかり聞いて自分の置かれている状況の程度を知らないとならない。
頭ではそうわかっていても、どこかショックも受けている自分がいる。
なんとも言い難い表現しにくい感情が蠢いていた。
首の異変に気付いたのが約1か月半前。
この時点では、まさか首の腫れの原因がこんな大変なものだとは微塵も想像をしていなかった。
兆候
癌との宣告を受ける1か月半前の2022年の11月下旬。
夕方に咳が出始め、喉に痛みが少しあった。
熱を測ってみると37度0分と微熱。
そこまで辛くなかったので、そのまま寝て様子をみた。
次の日に朝起きた際、そこまで辛くはなかった。
だが、時節柄喉の痛みがあるのは気になったので(この時は新型コロナウイルス第8派が10月から流行し始めていた。喉の痛みが強く出るのが特徴)大事をとって仕事は休む事にした。
喉が痛いなと思って、首回りを触っていた時に・・・
首の右耳の下というのか、リンパ節というのか、右の下奥歯の外側当たりなのかにしこりがあるのに気付いた。
大きさにしてピンポン玉くらいだろうか?いや、もう少し大きい。直径でいうと4センチくらいありそうだ。
ただ、厚みはそこまででは無さそうで、球体というわけではない。
背の低いお椀型というか・・・
一回気付けば明らかなしこりなのだが、触ることのない場所だったのでそれまで全く気付かなかった。
痛みもなければ、それ以外の症状も特にない。
ただ、そこに在るだけ。
外見的には、本当に意識して見れば少し膨らんでいる?!いや意識して見てもわからないレベルかもしれない。
そこで思ったのが、新型コロナの影響でリンパが腫れているのかな?という事だった。
検索してみたがそのような事例はヒットしなかった。
でもきっとコロナが関連しているんだろうな。
考えても仕方がないのでまずは病院で診てもらおうと思った。
その日、コロナのPCR検査を受ける為に近くのクリニックを受診。
その際に「この首の腫れみたいのなんですけど、コロナの影響で腫れる事ってありますかね?」と聞いて私は聞いてみた。
お医者さんが触診して「うーん、、いや、コロナで腫れるってことはないと思うから。耳鼻科で診てもらった方が良いね」との事だった。
そうか、コロナは関係なさそうなのか。
とりあえずPCRが陰性だと良いな。と思いながら家路につき、その日は安静に過ごした。
翌日、PCR検査の結果を確認する為に病院に電話。
結果は陽性だった。
確かに普通の風邪に比べれば、喉は痛かった。
でも、思ったほどは辛くはなかったため、内心陰性なんではないかと想像していた。
その日から、待期期間満了までの仕事を調整し、自宅で約10日間の養生を行う事となった。
と言っても、つらかったのは最初の2、3日のみ。
あとは咳と喉の痛みはあったが体は元気なので、時間を持て余していた。
事務仕事を片付けたりオンラインでアポイントをしたりと、人に会わないながらも仕事を行っていた。
そして、待期期間が明け近くの耳鼻科を受診。
これまでの経緯を話し触診をしてもらう。
「これはちょっとうちでは対応できなそうだから。設備のある大きな病院で診てもらった方が良いですね。紹介状書いておきますから早めに受診なさってください」
との事だった。
結局なんなのかはわからず。もやもやする。
そして相変わらず特に痛みもない。
早めに受診した方が良いとの事だったので、病院に電話し予約をとった。
2022年12月9日
紹介状を書いてもらった大型病院の耳鼻科を受診。
先生は20代後半くらいと思われる女性のドクター。
お若そうだけど落ち着いて丁寧に状況を聞き取ってくれ、まずは血液検査を行い異常がないかを確認する事となった。
結果的にここから連続で色んな検査を実施する事となるのであった。
12月16日
血液検査では異常が見られなかったので、超音波検査実施。
妊婦さんのお腹の中の状況確認をする時にやるようなものですね。
結果は翌週とのこと。
12月23日
超音波ではわからなかったとの事で、CTスキャン検査を実施。
この結果は割とすぐにわかるみたいで、最短日程で27日に次回受診。
疑念
12月27日
CTの診察結果を聞きにいく。
ただ、これだけだと何が原因で腫れているのか判断がつかないとの事。
この時点で「もしかしてがん(癌)の可能性ってあるんじゃないか?」との疑念が本格化してきた。
そして癌でないとしても「何なのかわからない原因不明の病気」ならそれはそれで怖い。
別途、首の腫れているリンパに針を刺し病理細胞検査実施。また、喉扁桃腺も腫れているとの事で切ってこちらも病理細胞検査。
この病理細胞検査というのが、首の腫れているしこりの部分に針のようなものを刺して細胞を取るのだが、、
首に刺すので当然出血する。まず首に針を刺す事が凄く恐怖であり、ついつい体が強張ってしまう。
そして、刺してしまったら、しこりから出た悪い細胞がリンパに乗って他の部分に転移してしまわないのか?との恐怖があった。
相手はプロなんだから、転移する可能性があるような事を行うはずはない。
そう考えるようにしながらも「でも絶対はない」という疑念が残っている。
気にしても仕方ないし悩むのを止めようと努めたのだが、この不安は結局PET検査の結果が出るまでずっと引きずりつづける事となった。
この頃から、交際している婚約者ともそれとなく可能性の話しをし始めていた。
最悪の場合の可能性の話しを。
敢えてがんという言葉は使わなかったが、お互いにその可能性があるというのを察して話していた。
もちろん、二人とも前向きに良性のものである前提が9割で会話していた。
良性のものであるはずと思いたかった。
また、年明けにMRI検査も実施するとの事で予約を取る。
年始早々ドタバタだ。
2023年1月4日
本日より仕事始め。オフィスで仲間と顔合わせと軽いミーティングを行ったあと中華街でランチ。
15時よりMRI検査の予約を取っていたため病院へ。
検査実施。
不安
2023年1月10日
病理検査の結果を聞きに行く日だ。
9時に予約していたので病院にいく。
耳鼻科の主治医の先生から
「病理検査の結果なんですが、残念ながら悪性腫瘍で、いわゆるがんでした」との事をまず伝えられた。
首の腫れの部分に触ると、明らかに大きく固いので「これは良くない物の可能性も高いよな」と自分でも薄々思っている面もあった。
「でも悪い物ではないはず」当然だがそうも思ってもいた。
ある程度、がん(癌)と言われる覚悟もしていたのでそれ自体はさほどの驚きではなかった。
だが、そのあと説明の詳細を聞いていくなかで、新たな不安が色々出てきたのが正直なところ。
喉の扁桃腺部分に小さな腫瘍があるとレントゲン写真を見ながら説明してくれ、この腫瘍は本当に小さい上皮咽頭がんとの事だった。これ単体ならさほど問題はないとのこと。
ただ首のリンパ部分の腫れも悪性腫瘍であり、こちらは4~5センチの大きさがあるので早めに処置し放射線や抗がん剤治療をスタートした方が良いとの事だった。
ステージは一つのガンの場合と二つ以上の場合でカウントの仕方が異なる。
今回の場合『ステージで言うと真ん中』くらいとの表現で伝えてもらった。
気を使った優しい伝え方だったが、流石に深刻な状況なのであろうことは医師や看護師さんの表情や雰囲気から察することができた。
他の科の予約を取ってくれようと、医師と看護師さんとが連携しているのですが動きが慌ただしいんです。
「これは治るものなのだろうか?」
とたんに不安が増してきた。
「ステージ真ん中」とはどういう事だろう?1~4で言うと2.5くらいのイメージだろうか?
3だとしたら本当にまずいだろうな。。
これは下手したら死ぬこともありえる。下手をしなくても闘病でかなり時間がかかりそうだ。
生活も仕事にも影響が出そうだ。
そのあと、血液検査を再度行い6本採血。
採血の結果が出るのを待つ待合室であれこれ色んな事を考えた。一番悩んだのが
「これを親や子供に言えるかな?心配させるよな。言うべきか?」
ということだった。
80歳の父は大腸がんで昨年から闘病中だし、75歳の母も今年糖尿病と診断されたばかり。
余計な心配をかけたくない。
子供は3人おり、今は離れて暮らしている。
もう子供も成人しているのだから、ありのままに病気の事を伝えた方が良いかもと思う反面、
「がん」という病名からくるインパクトが大きく不安を与えるのではないか?!
そして一番嫌なのは闘病を続ければ「弱っていく自分」「弱い自分」を子供の前で見せる事になるのではないか?という不安だった。
見栄と言ってしまえばそうなのだが、子供の前ではずっと強い存在でいたい。
そんな想いがあったので「子供達には今は言いたくないな」という思いが勝っていた。
幸い、パートナーと職場の上司にはすぐに言おうと決断していたし、言える相手だと信頼ができていた。そんな存在がいてくれるだけで本当に有難い。一人で抱えるにはキツいから・・・
血液検査の結果は、糖尿病などの合併症はなさそうとのこと。
取り急ぎ、胃がん内視鏡検査を1月12日に。
他の部位に転移していないかの確認のPET検査を13日に行うこととなった。
PET検査を早くやった方が良いと看護師さんにも言われた事からも、状況の深刻さを改めて感じた。
検査結果を1月18日に聞きに行くこととなった。
とにかくスケジュールを可能な限り前倒しに。
検査結果を聞く際は家族も連れてきてくれとのこと。
今後の治療方針などにも関係してくるので家族にも聞いていてもらった方が良いとの事だった。
病院を出てすぐに婚約者に電話して検査結果を伝えた。
がんと聞いてビックリしていた部分と、もしかしてそうかもと予想していた部分もあったのだと思う。
割と落ち着いて前向きな言葉を掛けてくれた。
そしてこれから治療を全力で手伝うから一緒に頑張ろうと言ってくれ安心できた。
一人で抱えたらプレッシャーや孤独感や寂しさに圧し潰されるところだった。有難い。
仕事にも影響が出るのは明らかなので上司にも電話しがんと告げられた旨を報告した。
驚かれたが、できることは全力でサポートしてくれると言ってくれ本当に心強かった。
午後に一旦オフィスに寄り、必要な書類作成など最低限の事をして早めに退社。
夕方オフィスから自宅への帰り道に歩いていてふと不安になった。
死ぬことも怖いけど、親や子供に心配をかけたくない。
恐怖
1月11日
昨夜は告知された事の辛さから逃げるためお酒を飲んだ。
そのせいで普通に寝付く事ができた。
今日はお酒を飲まなかったのだが、色々考えてなかなか寝付く事ができなかった。
この病気の闘病生活や予後、そして生存率など知りたいが知ってしまうのが怖いのだ。
見たくはないが、知っておかないわけにはいかないので検索したり本を読み始める。
咽頭癌の5年後生存率はどのくらいだろう?
ステージ2で79%、3で73%。5年生きられない可能性が十分にあるようだ。
子供達の未来をどこまで見れるのか?
孫はそれまでにできるのか?
子供達には楽しく不安ない毎日を過ごしてほしい。
そして本当に大きな心残りになってしまうのが、最愛の婚約者を残して旅立っていくこと。
自分も寂しいし相手にも辛い思いをさせてしまう。
なんとか治療して普段の生活に戻していかなければ。
夢
1月12日、昨夜あまり寝付けなかったが、、、
眠りについた際に夢を見た。
夢の中の自分は野球をしていた。
1対0で9回の裏、ツーアウトランナーなし。
自分がバッターボックスに立っていた。
初級、二球目、共に猛スピードのストレート。
バットを思い切り振ったが球が全く目で追えず、空振り。
球場のスタンドには結構人が入っていて、緊張感に包まれているのを感じる。
3球目が放たれて、これにも思い切りバットをスイングした。
これも全く当たらなかった。
空振り三振。
でも、振り返るとキャッチャーが球を後ろに逸らしている。
私は必死に走って一塁に駆け込んだ。
セーフ!振り逃げ成立だ。
ここからまだチャンスはある。
そう思ったところで夢から目が覚めた。
さて、今日は午前中は胃カメラ内視鏡検査の日だった。
麻酔を打ったので帰りは結構ふらふら。
夜は久しぶりに私主催の経営者飲み会を恵比寿で開催した。
コロナ禍もあり、リアルで開催は本当に久しぶりさった。
私の会だから楽しみにしていたと言ってくれる人がいる。
凄く嬉しかった。
そして本当に楽しかった。
かけがえのない仲間がいる事が幸せである。
葛藤
1月13日、本日はPET検査を実施してもらう為にいつもと違うまた別の病院へ。
今日は、取引先のTさんに癌になった旨を電話でお伝えした。
これは取引先の方への業務連絡としてではなく、Tさんは癌罹患経験者だから電話したのだ。
Tさんは私と同じく40代半ばで発症されたが、今は寛解されて普通に仕事をされている。
今の不安な気持ちなどを共有できる人が欲しかったのだ。
Tさんは私の話しを自分事のように捉えてくれて、色んなアドバイスをくださった。
本当に有難いことだ。
今日は婚約者が自宅に遊びに来てくれ、こたつを買ってきてくれた。
そして背中をさすってくれた。心が一気に軽くなる。
ただ、不安のピークの時期が、
「癌の告知を受けた1月10日~PET検査結果による他部位への転移があるかどうかの結果を聞く1月18日」
である事は間違いなかった。
この間、普通に仕事もしてたし人にも会ったりしていたが、心のどこかにいつも病気の事がありながら過ごしていた。
例えば、肩が凝ったり、下腹部に張りがあったりする。
そうすると「これは転移なんでは?」と物凄く気にしてしまっていました。
調べてみると「リンパが腫れていると肩が凝りやすい」などもあるらしいのですが、頭で理解しても心は動揺していた。
もしがんが転移していたら、生きられるのはあとどれくらいか?
残された期間で何をしていこうか?
本当に色んな事を考えさせられる重い期間だった。
相談
1月15日、パートナーが遊びに来たので家で過ごす。
今後の事を話していて、本当に思ったのが医療保険ガン保険の有難さ。
まずは治療費などの出費面。
そして傷病手当で一部補填されるとはいえ、がんという病気だと闘病も長くなることも多い。
収入減がどれくらい続くかわからない事は不安になり得る要因だろう。
ガン保険においては診断金一時金でそれなりに大きなお金が給付される保険に加入していた。
それらが非課税で入ってくるのは本当に助かる。
医療保険の方でも、入院だけでなく特約もあるのでまとまった金額が入ってくる。
また、払い込み免除特約も付けてあるので今後の支払いの心配がなくなり良かった。
闘病の不安はあるが、少なくともお金の面ではかなり安心できそうで良かった。
病気の心配をした上で、お金の事まで考えてなどいたくなかったから本当に助かった。
ただ、もしも過去に遡れるのなら、変額型の積立保険にも払い込み免除特約を付けておけば完璧だったなという思いは少しある。結果論ではあるのだが。
治療法についてパートナーと話したが、できるなら陽子線か重粒子線での治療。
また遺伝子パネル検査などで抗がん剤などの適用がうまくいくものを探したいとなった。
もちろん、先進医療や自由診療受診などは高いハードルがある。
それでも少しでも良い状態に持っていくためにどうすれば良いか考えた。
今ある不安や愚痴も、将来への希望や展望も、余すことなく全てさらけ出せる相手がいてくれて本当に心の支えになっている。
そしてこの日は娘とお茶をした。
何気ない日常の話しを交わす。
今、楽しいのはVチューバーという人たちの配信を見る事だそうだ。
いまある幸せを大切にしてほしい。
そして私自身が早く何の不安もない健康状態に戻って、またこの子と会いたい。
希望
1月18日、10時30分、今日はPET検査も含めた結果を教えてもらう日。
婚約者にも付き添ってもらって病院へ。
院内はとても混んでいて、診察に呼ばれたのは予約時間より90分くらい経ってからだった。
順番が来て、主治医の先生が内容を伝えてくれた。
てっきり個室みたいな空間でひっそり伝えられるのかと想像していたが、普段の診療して頂いている部屋というかブースみたいな所でいつも通りの感じでお伝えされるようである。
今日は同席の婚約者もいるので、初診から今回の診断に至ったこれまでの経緯などを含め最初から順を追って話してくださった。
そしてPET検査の結果として画像を見ながら、咽頭と首のリンパ以外には転移をしていない。
と教えてもらった。
本当に安心した!
心の中で「もしかしたら他の部位に転移しているのではないか?」と凄く不安を感じてこの1週間位を過ごしていたから、、
「この肩こりは・・・」
「このお腹の具合いは・・・」
など全てが気がかりで、常に心が張り詰めて過ごしていたこの1週間・・・
本当に良かった。心から安堵した。
診断名は扁桃がん(咽頭がん)。
T⇒原発 (1~4で示すうち4が一番重い)私はT1(癌の深度というところか)
N⇒リンパ節 1~4で示す 5Cm以上がある、2個ある。 N2b(近くのリンパ節への転移があるか?私は扁桃腺から首リンパへの転移があったのでこの数値になるそう)
M⇒遠隔転移 なし M0(他の離れた部位へのガン転移が認められるか?これは無かった!良かった!)
これらから総合で言うとステージ2とのこと。
基本的に抗がん剤と放射線で治療らしい。
もし抗がん剤と放射線治療で最後に小さながん細胞が残った場合は手術で切る予定とのこと。ただ基本的には抗がん剤と放射線のみで完了させる予定。
今回の治療の場合だと、この病院で入院して早めに治療をスタートするのが最善かと思った。
婚約者もそれで納得していた。
歯医者と放射線科の予約をとって、放射線科の先生と治療の詳しい日程を決めるとのこと。
だが、放射線科の先生の予約が1月27日と少し先になってしまった。
少しでも早く治療を開始したいが、ここで間が空いてしまうのが少し気がかり。
だが、不安に苛まされていたのがやっと具体的に治療とその後の姿がおぼろげながら見えてきた!
1月19日、院内紹介での歯医者での歯科点検。
ただ、ここで親知らずがあることが問題となったよう。
歯医者の先生から主治医の先生に連絡してくれたが繋がらない。
微妙に生えかけている親知らずを抜いておかないとがん治療に影響が出るかもとの事・・・。
ただ、親知らずを抜くとしたら、最短スケジュールで2月1日。
放射線治療はそこから2週間は後倒しになってしまう。
どうすべきか。。
1月20日、両親にがん(癌)のことを伝えに行く。
話したいことがあるから実家に寄ると電話してから行った。
親も「何の話しがあるのか?」とは思っていただろうが、まさかがんになったと言われるとは思ってもいなかっただろう。
どういう順番で話せば親が混乱しないか?
普通に治るものだと安心させられるか?
伝え方を凄く悩んだ。
「実は入院する事になった。結論だけ言うと病名はガンなんだけど、早く見つかったから治りそうだ」とストレートに切り出した。
思いのほか親に動揺はなさそうだった。もちろん内心は驚いてはいただろうけど。
「心配事はないか?」「手伝える事はあるか?」など気に掛けてくれた。
さあ、親より先に死ぬなんて親不孝な真似は絶対にできないぞ!
何とか頑張って元気な状態に戻らなきゃ!
1月21日、この日から大切な友人達にも「入院すること」「そしてガンに罹患した事」などを伝え始めた。
大体の方は「えっ、Nekoさんが?!まさか」という反応だった。
それもそのはず、どちらかというと僕は普通の健康そのものといって良いイメージを持たれていたし、実際にその通りだったと思う。
スポーツをバリバリにやっていたとかではないが、食欲旺盛で睡眠もよくとり、見た目に関しては同年代の人より若く見られる事が多い。
そんな僕がこの年齢でガン?!というショックがあったのだろう。
ただ、治る可能性が大きいがんだという事を話して、ほぼほぼ皆さんご納得というか、退院した後の再開を楽しみにしてくれるという応えをもらった。
そして仕事も今月のうちにできる事はやろう。
会える人にはできるだけ会っておこう。
健康や日常は当たり前とは限らないという気付きを人に伝えていこう。
使命
大切な人たちに今の本音を話していく中で、これからの自分の使命のようなものが沸き上がってくるのが感じられた。
そして想像していた以上に自分には応援してくれる仲間やお客様がたくさんいる事を改めて実感した。
今回、自分がこの年齢でがん(癌)と診断された意味をよく考えた。
保険屋として生きていく中で、人に伝えられる大切な事がこれからの入院と闘病の中でたくさん出てくるであろう。
それは経済的な面だけでなく、治療の選択や生き方、健康予防や心の在り方など多岐に渡るだろう。
結果的にいまこのタイミングでがんに罹患したこと。これは良い事だったのかもしれない。
少しずつそんな気持ちに切り替わっていきつつあった。
1月25日、この日は支社でミーティングの日。
普段はみなほとんど出社しない仕事体制なのだが、週に1度はミーティングで集まる。
うちの支社のメンバーは10人ちょい。
事前に支社長と話した結果、今日他のメンバーにも現状を告知しようという事になった。
僕としてもそれは仲間に伝えておきたい事でもあった。
言っておきたい理由は大きくは二つ。
一つは仲間に自分が何で仕事にこれなくなるのか?をちゃんと理解して納得しておいてほしいから。
病状など知らない状態で長期休暇だと、オフィス全体のモチベーションにも関わると思うし、みんなモヤモヤするだろうから。
もう一つは、自分達の関わる保険という仕事において病気に関する話題というのは必ず出る。
そしてその中でも一番多くお客様から質問など受ける病気ががんだ。
がんに罹患した際の経済面だけでなく、治療の選択や心理の移り変わりなど。
そういった事を知っておいてもらうのは自分達にもその先のお客様達にもプラスになる事だと思った。だから同僚にも知っておいてもらいたかったし、気軽に質問もしてもらいたかった。
それらの理由も踏まえこれからの闘病スケジュールを伝えた。
みな、一様に驚いていた。
それはそうだ。僕が逆の立場だったら同じように驚くだろう。
うちの職場の年齢層でいうと僕は中間くらい。
だいたい35歳~55歳くらいまでの年齢の人がほとんど。
それ以上に僕は昨日まで普通に働いていたし、がんの気配なんて微塵もなかっただろうから。
みんな、私の事を普段と同じように接してくれ、その優しさに感謝の限りだった。
支社を出るとき、支社長から「必ず生きて戻ってくてください」との言葉を頂き、固い握手を交わしてお別れした。
信じて待っている人たちがいる事が、元気に帰ってくる理由になる。有難い事だ。
1月27日、10時、放射線科の先生と面談。
インフォームドコンセントや注意点などを説明して頂く。
そのあと、耳鼻科の主治医の先生と最終打ち合わせ。
親知らずに関しては、今は抜かずにこのままガン治療に入ろうという事になった。
また、主治医、薬剤師さんなどそれぞれからも諸注意点など細かく説明を受ける。
質問したい事があれば質問できるし聞きやすい体制で有難い。
入院は2月2日からと決定した。
夜は婚約者と食事をしようとお出かけ。今日はしゃぶしゃぶへ。
PET検査の結果、転移が無いとわかってからパートナーと話して決めていた事が一つあった。
入院するまでの間に食べたいものをできるだけ食べておこうと。
大切な人と好きなものを食べる。本当に幸せな時間だ。
この10日間ちょっとは、刺身や焼き肉、ラーメンなど自分の好きな食事をしお酒を飲む。
もちろん無茶な暴飲暴食はしないが、今できる事をして、退院した後の希望を持つ。
そういう過ごし方をすると決めた。
1月28日以降、精力的にお客様に会っておいた。
絶対に病気に負けないで帰ってくる事。その決意表明をお客様に宣言する事も含めて。
そして、あっという間に入院のその日はやってきた。
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